この一ヶ月ぐらい、
「いい子にしてたらサンタさん来てくれるって言ってたよ。」
「野菜を食べないとサンタさん来ないよ!」
「上手に○○したらサンタさん来てくれるって!」
などと、世界中で大人が嘘をついている(笑)
かく言う私も、三男坊に「野菜を食べてほしくて」「うんこをトイレでしてほしくて」サンタをダシに使いまくりだ。
「上手ににんじん食べたのサンタさん見てたって!」
「トイレでうんこ出来るのサンタさん見てるかもよ〜」
この嘘つきヒゲ親父め!
しかも嘘ついた甲斐はあまりなく、三男坊は今朝も「うんこ出る!」と宣言し居間のど真ん中でキバってオムツにうんこしてました。
うんこにサンタは効果なし。そりゃそうだ、トイレの神様じゃないもん。
サンタにはじまり、我々大人は何やかんやと賞罰をチラつかせて子どもに何かをやらせたり、やらせないようにしたりしがちだ。
手伝いできたね〜偉い!
野菜を食べなかったらオヤツなし!
テストで○○点以上取ったらゲーム買ってあげる!
友達と仲良くできない子なんかしりません!
分かる。言いたくなる。
私もついつい言ってしまいがちだ。
アチコチで偉い先生が「賞罰なしの子育て」を推奨している。
そりゃそうだ。センセの言うことは分かる。分かるけど、そううまくはいかない。
ただ、うまくはいかないんだけれど、心がけていることはある。
にんじんぶら下げるときに、行為とにんじん(賞罰)を一対にしないこと。
親の都合だけで決めずに子どもと話し合って決めること。
例えば、我が家では、息子たちに何がしかの家事を担ってもらっている(何を担うかは話し合ったうえで本人が決める)。
そして、それら家事を担うことが小遣いをもらえる条件になっている。
「手伝いしたら小遣いあげる。」まさに賞罰の「賞」だ。
でも、手伝いをサボったから「小遣いなし!」とはしない。
小遣いもらえる条件なのにサボっても小遣いもらえるとはこれいかに。
ここら辺の加減が難しいのだけれど、話し合って決めた手伝いをサボったことについては、「ちゃんとやってもらわないと困る。」と文句も言うし、どうしたら改善できるか話し合うが、それを直接小遣いに結び付けない。
でも、家族の一員として家事を担うということが出来ない人には小遣いを支給できません、ということは伝える。
伝えたうえで、どうしたら手伝いが完遂できるか一緒に考える。
そして、担ってくれた家事に対しては感謝する(実際とてもありがたい)。
一緒に考えること、ありがとうを伝えること、この2つを外さないことが大切だと思うのです。
さて、もうひとつの事例。
長男「テストで○○番以上とったらスマホ買ってくれ!」
…は、長くなるのでまた今度。
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「家men」というサイトで、私の育休取得についてインタビュー記事が掲載されています。
興味のある方、ご笑覧くださいませ^3^)
https://ie-men.jp/contents/513